プランゲ文庫は、占領期に日本に滞在したGHQ関係者(及びその家族)よりメリーランド大学に寄付された資料も所蔵しています。これら寄贈資料には文書、写真、口述記録、カラースライド、手紙など様々な形態の資料が含まれます。寄贈資料の多くは未整理で、閲覧は館内に限られるものが多数を占めます。
弁護士で国務省職員だったジュリウス・ベーシン氏 (Julius (Jules) Bassin: 1914 - 2009)は1945年、ダグラス・マッカーサー元帥の元で日本との平和条約締結交渉に関与しました。1946年にベーシン氏は陸軍を離れ、連合国軍最高司令官総司令部(SCAP)の法務局課長を占領終了まで勤めました。1952年には東京のアメリカ大使館にて法律部門専門の大使館員となりました。
主な内容: 写真アルバム5点(写真1,029枚)、文書、ポストカード、手紙類、ビデオ、ドキュメンタリー(インタビュー)。1915年~1965年。
利用: ほぼ全ての資料のデジタル化が終了しており、 University of Maryland Libraries Digital Collections にて公開しています。残りの資料はホーンベイク図書館北館(Hornbake Library North) 館内で閲覧できます。
ルイス・ビノ氏(Lois Beno: 1922 - 2016)の夫は空軍に所属していましたが、占領期には陸軍に出向し福岡県にて対敵諜報部隊(Counter Intelligence Corps - CIC)の指揮をとることになりました。そのためルイス・ビノ氏と子どもたち2人は1947年に日本に渡り先に渡日していた夫に合流。最初は九州の久留米市、その後福岡市に滞在することになりました。インタビューの中でビノ氏は進駐軍の家族向けの住宅や食べ物、公衆衛生、衣服、交通、娯楽、旅行など、様々な観点から当時の日本について語っています。
主な内容: 写真32枚、インタビュー
利用: デジタル化は終了していますが、ホーンベイク図書館北館(Hornbake Library North)館内での閲覧に限られています。
検索手段: University of Maryland Libraries Archival Collections (Lois Beno Papersのページ)
マーク・ビーゲル氏(Mark Biegel)は、米陸軍第21歩兵団のInformation and Education Officerとして日本に駐留しました。ビーゲルは後に、情報に関するプログラムの成功(21歩兵団の出版物「The Diamond News」にて発表)及び歩兵団の管理能力を認められ、Army Commendation Ribbonを授与されました。
利用: デジタル化は終了していますが、ホーンベイク図書館北館(Hornbake Library North)館内での閲覧に限られています。
検索手段: University of Maryland Libraries Archival Collections (Mark M. Biegel Papers and Photographsのページ)
関連資料: 米国議会図書館(Library of Congress)のAmerican Folklife Centerが管理するVeterans History Projectに、ビーゲル氏のインタビューが収録されています。Mark Biegel Collection (AFC/2001/001/72289) この中でビーゲル氏は、当文庫に寄贈したアルバムを見ながらインタビューに答えています。
エマーソン・シェーピン氏(Emerson Chapin: 1920 - 2003)は、ニューヨーク・タイムス(New York Times)のエディター兼海外特派員として活躍した人物です。終戦直後の1945年9月、Emerson Chapin(エマーソン・シェーピン)氏が所属していた第98歩兵部隊は占領軍として日本に送られ、大阪赴任を命じられます。1946年に除隊を許可されますが、同年に今度はCivil Information and Education Section (CI&E)(民間情報教育局)にて、雑誌記事の分析作業の仕事に就きました。民間情報教育局が解散した後はAllied Translator and Interpreter Service (ATIS)(連合国翻訳通訳部)にて同様の仕事を続け、1950年7月にアメリカに帰国しました。
主な内容: スライド404枚、写真236枚
利用: ホーンベイク図書館北館(Hornbake Library North) 館内で閲覧できます。
検索手段: University of Maryland Libraries Archival Collections (Emerson Chapin Photographs and Slidesのページ)
ケネス・コルトン氏(Kenneth E. Colton: 1913-1995)は1946年1月、日本の政党を担当するリサーチアナリスト及び諜報専門員としてCivil Intelligence Section[CIS](民間諜報局)に入局し、その後民間歴史課(Civil Historical Section)に移動しました。CISでの勤務は日本の占領が終結した1952年に終えたものの、コルトン氏の日本に対する興味は薄れず、日本研究を続けました。コルトン氏は上智大学、国際基督教大学、アメリカン大学、ケント州立大学などで教鞭をとりました。
主な内容: 日本の政党・政治関係者・国会・選挙に関する文書類
利用: ホーンベイク図書館北館(Hornbake Library North) 館内で閲覧できます。
検索手段: University of Maryland Libraries Archival Collections. (Kenneth E. Colton Papersのページ。Inventories/Additional Informationのタブを開くと簡易目録のPDFをダウンロードできます)
オーウェン・カニンガム氏(Own Cunningham: July 16, 1900 - February 1987)は、極東国際軍事裁判(東京裁判)にて、アメリカ人弁護団のひとりとして大島浩(1938-1939及び1941-1945年に駐ドイツ特命全権大使)担当となりました。
主な内容: 大島浩の弁護に関する文書類、メモ、記事、原稿
利用: ホーンベイク図書館北館(Hornbake Library North) 館内で閲覧できます。
検索手段: University of Maryland Libraries Archival Collections. (Own Cunningham Papersのページ)
ビクター・デルノア中佐(Lt. Colonel Victor E. Delnore: 1914-1998)は、1946年から1949年まで占領軍長崎軍政部司令官として、長崎県の復興・秩序安定に力を注ぎました。
主な内容: 政策に関する資料、指令文書、スピーチ原稿(1948年にデルノア中佐が第1回長崎平和祈念式典で行った演説原稿もあり)、写真アルバム、写真、手紙、新聞記事の切り抜き、ドキュメンタリーフィルムの録画ビデオなど。写真アルバムやスクラップブックは、デルノア中佐が長崎を離れる時に長崎市関係者から受け取ったものです。
利用: ほぼ全ての資料のデジタル化が終了しており、 University of Maryland Libraries Digital Collections にて公開しています。残りの資料はホーンベイク図書館北館(Hornbake Library North) 館内で閲覧できます。
検索手段: University of Maryland Libraries Archival Collections. (Victor E. Delnore papersのページ。Inventories/Additional Informationのタブを開くと簡易目録のPDFをダウンロードできます)
ジョージ・ピーター・デメルカス氏 (George Peter Demeroukas:1930 - 2012) はイリノイ州シカゴ出身のギリシャ系移民の二世でした。彼は冷戦の初期、つまり日本占領後に徴兵され、米陸軍通信隊の日本通信隊に配属され、軍用ラジオ放送や通信局での業務に従事しました。デメルカス氏は1955年2月から1956年3月まで日本に駐留し、その間日本各地を旅行しました。その際に多くの記念品を集め、家族への手紙を書き、写真を撮り、自分の旅行の様子を記録するためにカラースライドを作成しました。現役任務を終えた後、National Defense Services and Sharpshooter (Carbine)を授与され、その後はラジオやテレビの回路図を描く技術イラストレーターになりました。
主な内容: 白黒写真728枚, カラースライド222枚, 写真ネガ10点, 写真ネガフィルムケース15点, 文書12点, 図書2冊, 日記や手紙からの抜粋66点
利用: ホーンベイク図書館北館(Hornbake Library North) 館内で閲覧できます。
検索手段: University of Maryland Libraries Archival Collections. (George P. Demeroukas papersのページ)
関連資料: プランゲ文庫は2023年、Demeroukas papersを使って企画展示, A Picture Is Worth A Thousand Words: Connecting Through Canon in Post-Occupation Japan を開催しました。
ジョージ T. ハーゲン氏 (George T. Hagen)は、連合国最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)の法務部門において、1946年に検察官、1948年に検察部長、そして1950年には仮釈放委員会の委員長を務めました。George Hagen papersには、ハーゲン氏がかかわったBC級戦犯裁判の記録や、恩赦や仮釈放の審査を行った活動に関連する資料が含まれています。また極東国際軍事裁判(東京裁判 - International Military Tribunal for the Far East)に関する文書や写真類も含まれています。
主な内容: 11個のレコードボックスに収められた文書や写真で成り立ちます。写真は156枚、ネガは33枚。
利用: ホーンベイク図書館北館(Hornbake Library North) 館内で閲覧できます。
検索手段: University of Maryland Libraries Archival Collections. (George T. Hagen papersのページ)
ジョン・R・ハロルド氏(John R. Harold: 1914-1995)は、連合国軍最高司令官総司令部(SCAP)労働課で労使関係責任者代理として占領に関わりました。ハロルド氏は日本国民への労使関係教育に注力し、労働関係調整法(1946年)の制定・施行に携わりました。
主な内容: 労働政策に関する個人メモ、書簡、報告書、新聞記事切り抜き、パンフレット、雑誌、ハロルドの自伝 「Living a life of social significance : an autobiography of the professional life of an attorney to the labor movement」
利用: ホーンベイク図書館北館(Hornbake Library North) 館内で閲覧できます。
検索手段: University of Maryland Libraries Archival Collections. (John R. Harold Papersのページ)
アルバート・W・ヒルバーグ氏(Albert W. Hilberg: 1922-2007)は、原爆傷害調査委員会(Atomic Bomb Casualty Commission[ABCC])のメンバーでした。
主な内容: 原爆投下前後の広島の写真48枚、ABCCの報告書41点
利用: 写真はデジタル化が終了しており、University of Maryland Libraries Digital Collectionsで閲覧できます。報告書はホーンベイク図書館北館(Hornbake Library North)館内にて閲覧できます。
検索手段: University of Maryland Libraries Archival Collections (Albert W. Hilberg Atomic Bomb Casualty Commission Collectionのページ)
SCAPの民政局次長であったチャールズ・L・ケーディス氏(Charles L. Kades: 1906-1996)は、1947年の日本国憲法制定にあたり憲法案を作成するなど、指導的な役割を担いました。
主な内容: 第一部は松本烝治の明治憲法仮修正案(1946年1月4日)に始まり、アメリカ国務省発行日本国憲法最終草案(1947年5月3日施行)にいたるまでの各種修正草案(英語及び日本語版)を含んでいます。第二部は、メモ、委員会議事録、手紙、チェックシート、日本国憲法に関する宮内庁の見解などが含まれています。
利用: デジタル化が終了しており、Internet Archiveにて全文公開しています。またマイクロフィルム化もされており、マイクロ資料はカタログから取り寄せを申請後マッケルディン図書館(McKeldin Library)で閲覧できます。
検索手段: University of Maryland Libraries Archival Collections (Charles L. Kades Papersのページ)
ミード・スミス・カラス氏(Mead Smith Karras: 1922-2010)は、1946~1949年の間エコノミストとしてSCAPの労働課に勤務し月報作成などに関わりました。その後は労働省婦人少年局(Women’s and Minor’s Bureau)の新設や、労働基準法を通じて女性と子どもの労働環境を改善するため奔走しました。
主な内容: ポスター11枚、手紙27点、質問票154枚、写真約2200枚、紙芝居3点、その他
利用: ホーンベイク図書館北館(Hornbake Library North) 館内で閲覧できます。
検索手段: University of Maryland Libraries Archival Collections (Mead Smith Karras Papersのページ)
マリー・コーラー氏(Mary Koehler)は1945~1949年の間、SCAPのNatural Resources Section (NRS) の森林部門にて秘書として勤務しました。コーラー氏は滞在中、日本のPXにて購入したキャノンカメラを片手に日本各地を旅行し、写真撮影を楽しんだようです。日光旅行、1948年の植樹祭の様子、皇居での鴨狩り、海女たちの仕事風景、ミキモト創業者の御木本幸吉に会った際の写真などが確認されています。
主な内容: カラースライド540枚(そのうち25枚はガラススライド)。コーラー氏が作成した「The Japan I Knew - 1945-1949」のカセットテープ及び筆記録
利用: ホーンベイク図書館北館(Hornbake Library North) 館内で閲覧できます。
検索手段: University of Maryland Libraries Archival Collections (Mary Koehler Slidesのページ)
ロバート・P・シュスター氏(Robert P. Schuster)は、医療機器修理の専門家として占領軍の所属となり、日本に滞在しました。大多数の写真は1946年に撮影されたもので、シュスター氏の日本における体験を映し出しています。
主な内容: 写真738枚
利用: ホーンベイク図書館北館(Hornbake Library North) 館内で閲覧できます。
検索手段: University of Maryland Libraries Archival Collections. (Robert P. Shuster Photographs and Negativesのページ)、もしくは 簡易リスト(PDFファイル)を参照
ロイ・W・シモンソン氏(Roy W. Simonson: September 7, 1908 - November 2, 2008) は地質学の教授で、アメリカ及び西太平洋にて地質研究に従事しました。シモンソン氏は1934年North Dakota Agricultural Collegeで学位、そして1938年にウィスコンシン大学にて博士号を取得しました。その後1938年から1943年にかけてIowa State Collegeにて教鞭を執り、その後Soil correlatorとしてアメリカ合衆国農務省に勤めました。
第二次世界大戦後シモンソン氏はMilitary Geology Unitの一員となり、農務省のSoil Survey部署に1973年の退職まで勤務しました。その間、何度か土壌生成についての授業をメリーランド大学にて受け持ったこともありました。シモンソン氏は1993年にオハイオ州のオーバリン(Oberlin)に移り、2008年に亡くなりました。
Roy W. Simonson Slidesは、シモンソン氏が1947~1948年に日本、沖縄、パラオ、グアムで撮影したコダクロームフィルムのスライドで成り立ちます。
主な内容: カラースライド342枚
利用: デジタル化は終了していますが、ホーンベイク図書館北館(Hornbake Library North)館内での閲覧に限られています。
検索手段: University of Maryland Libraries Archival Collections (Roy W. Simonson Slidesのページ)
関連資料: アメリカ農務省図書館に、Roy Walter Simonson Papersがあります。また、こちらの論文も参照ください。“Roy W. Simonson: A Century as a Soil Scientist.” Soil Survey Horizons, 49 no. 3 (Fall 2008): 63-67.
レオラ・スミス氏(Leora Smith: 1921-2017)の夫は空軍から対敵諜報部隊に出向し1946年に日本に派遣され、横浜市に駐在することになりました。レオラ・スミス氏は1947年に日本に渡りました。当時、軍関係者の扶養家族用住宅(Dependents Housing)は横浜市では建設が終了していなかった為、彼らは当初、冨士屋ホテルに滞在しました。扶養家族用住宅及び冨士屋ホテルでの生活に関してはインタビューでも触れられています。スミス一家は一度アメリカに帰国しますが、すぐ日本に戻ることとなります。レオラ・スミス氏は今度は陸軍省(民間)の民政担当部署(呉市)にて秘書として働きました。
主な内容: 写真46枚(長野県、小田原市、鎌倉市、呉市、富士山、小学校の教室や地方の稲刈りの様子なども撮影)
利用: デジタル化は終了していますが、ホーンベイク図書館北館(Hornbake Library North)館内での閲覧に限られています。
検索手段: University of Maryland Libraries Archival Collections (Leora Smith Photographsのページ)
関連資料: マーリン・メイヨー・オーラル・ヒストリーズ(Marlene Mayo Oral Histories)に、スミス氏のインタビューが含まれます。筆記録をオンラインで公開しています。
ドナルド・スワン氏(Donald H. Swann)(1926-1964)は1944年~1946年、アメリカ陸軍に所属し、日本占領期間は東京と八戸に派遣されました。その間スワン氏は自分の家族に頻繁に写真や手紙を送り、日本での自分の生活や考えを共有しました。スワン氏の手紙類は、若いアメリカ兵士の正直な感情が見える資料群です。
主な内容: 84枚の写真、135通の手紙
利用: ホーンベイク図書館北館(Hornbake Library North)館内での閲覧に限られています。
検索手段: University of Maryland Libraries Archival Collections (Donald Swann Papersのページ)
ロバート・O・ウォーカー氏(Robert O. Walker) (1914-2008)は、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の助役兼管理官として海外に派遣されていました。第二次世界大戦終結時、マーガレット・リンゼル・ウォーカー氏(Margaret Linzel Walker)(1922-1994)は外国経済局の経済情報部で働いており、戦後は1950年代初頭まで日本で占領軍に従事していました。Robert O. Walker and Margaret Linzel Walker papersは、1946年頃から1952年までのウォーカー夫妻の日本での個々の生活や経験を記録した資料群です。
主な内容: 31点の書籍、2冊の写真アルバム(ロバート・O・ウォーカー氏のもの1冊と、マーガレット・リンゼル・ウォーカー氏のもの1冊)、118枚の写真、60点のその他の出版物(ポストカードやニュースレターなど)
利用: ホーンベイク図書館北館(Hornbake Library North)館内での閲覧に限られています。
検索手段: University of Maryland Libraries Archival Collections (Robert O. Walker and Margaret Linzel Walker papersのページ)
ジャスティン・ウィリアムス・ペーパー(Justin Williams Papers)は、第二次世界大戦後の日本における議会、政治、そして憲法に関する変動を研究する上で欠かせない資料と言えます。ジャスティン・ウィリアムス・シニア氏(Justin Williams Sr.: 1906-2002)は、1946年から1952年までSCAP民政局課長を務めました。ウィリアムスは占領下の日本の政治改革を積極的に指導する立場にあり、政府、地方自治体、政党、全国選挙に関する事柄を監督しました。ウィリアムスの主要な仕事は、新憲法下で国会が国権の最高機関として機能するように、その制度と運営を確立すること、日本の政治と選挙の実態をマッカーサー元帥に報告すること、及び国会がSCAPの方針に合致する政策を制定しているかどうかを確認することなどでした。コートニー・ホイットニー民政局局長(Major General Courtney Whitney)とチャールズ・ケーディス民政局次長(Colonel Charles L. Kades)が、ウィリアムスの直属上司でした。(George William Ware, Committee on East Asian Libraries Bulletin, October 1983, No. 72, 2).
利用: マイクロフィルム化が終了しており、マイクロ資料はカタログから取り寄せを申請後マッケルディン図書館(McKeldin Library)で閲覧できます。
検索手段: University of Maryland Libraries Archival Collections (Justin Williams Papersのページ)